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歩く

2009.09.21 Mon
よく歩いて、沢山の人と会う一週間だった。
ひとつひとつは情報量が膨大になってしまうので書けないけれど、色々なことがあり
ちょっと、今は体調が良くないのか頭痛が続いている。
普段僕は、田舎暮らしで仙人のように歌詞を書かせてもらいながらも
人とは人との中で生きてゆくものと、自分自身もっと人間らしくありたいと思う一週間でもあった。
時代の流れ。街の変化。人の心持ちの流れ。
すべては変わり続けてゆく。
渋谷にH&Mが出来たので遊びに行ったのだけれど
これも時代の流れだね。
アパレルという業界も大きなうねりの中。
ああいう店舗の進出に苦しむお店も多いだろう。
パワーを感じる店舗でもあり、消費に対する人の心の方向というものを感じた。
廉価でハイセンス、人にやさしいお店はいいものだ。
街は変わる。人も変わる。時代も変わる。
地球って大きな生き物ですね。


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掃除

2009.09.12 Sat
グッピーの水槽のフィルターと水を替えてガラスを磨いた。
心なしか水がクリーンになり、グッピーたちも楽しそうに泳いでいるように見える。

掃除は大切。ついつい「まあいいか」となって積み重なる本の山。
後で洗おうと思って置いておくお皿。飲み干して部屋の隅に置いたペットボトル。
そういうものたちが、脳の中でマイナスの作用をしてしまうように思えてしかたがない。
僕は1日に1度は部屋を点検掃除する。でも、それがふとした心のゆるみで、仕事に集中する時などは、1週間ほど放っておいてしまうことがある。そうなると、そんなに散らかっているわけではなくても、心もざわざわとなる。
部屋と脳、心はやはりつながっているのかもしれない。
この人は素敵だと思った方の家は必ずといっていい確率でモノが綺麗に整頓されている。

学生時代の僕は片付けられない子供だった。散らかっている方が、何が何処にあるかが分かるという、不思議な脳だったのだ。それはそれで、やはり部屋と心が直結していたのかもしれない。
今思うに、散らかっている方が分かりやすいというのは、単なる言い訳だったのだろう。

宮崎台に住んでいたある日。僕が心が折れそうになっている時に、友人の女の子が「窓を開けなよぅ」と言って僕の部屋の窓を開けてくれたことがあった。その時は僕は心が折れそうで、随分長い間、窓を開けていなかったのだ。
晴れた日は、カーテンと窓を開けたほうがいい。
汚れた空気が外へと吐き出されてゆく。

部屋を見渡せば、どうしてこういうものを買ったのか、と思うモノがあふれている。
その時には魅力的だったのだろうけれど、ささやかながらある自分の物欲がいやになる。
日々を清清しく過ごすには、本当は何もいらないのだ。
健やかに風が通る部屋があれば、人は健やかな心でいられる。
空気も水も自分ももっと綺麗にしようと、改めて思った一日だった。

さて、明日は図書館に本を返しに行かなければ。
最近、妙に図書館が混んでいるのである。
不景気が生んだブームなのだろうか?


追伸、一昨日のブログに載せた朗読ですが、写真差し替えのため一度下ろしました。
もう一度見てみようと思われた方、申し訳ありません。


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汚れつちまつた悲しみに

2009.09.08 Tue
時のあいまに中原中也の詩集を読んでいた。その中にある、あまりにも有名な「汚れつちまつた悲しみに・・・・・・」今読むとまた違うものだ。自嘲的なつよさ。
人は歳を重ね、汚れちつまつた悲しみを抱えてゆく生き物。哀愁を感じさせる一連の詩に僕自身の汚れつちまつた悲しみを思い浮かばせ、胸が痛くなる。
中原中也の文章に「自体芸術といふものは、それが研究の対象とされる限りに於いては如何にも科学的に闡明され得るものではあれ、制作される限りでは、生れるものであって生むものではないのである」というものがある。
同感である。同感でありながら、世の中に自身のニーズが他者のニーズと一致する天才と云うものはそんなにも多くは存在しない。
僕は時に生んでしまっている、自分の作品を。そして、やはり芸術は生むものではなく、生れなくてはいけないものだと思う。僕は歌謡曲と詩と云うものの狭間で心が捩れそうだ。
「嗚呼!」と想う時に目にしたもの、感じたものを「嗚呼!」の代わりに言葉にする、音楽にする、絵画にする。それが芸術。
「嗚呼!」と云う瞬間をとじこめる一筆が芸術を形成する。
僕らはもっと「嗚呼!」と云う瞬間を重ねなければいけない。
歌には完成形というものはないんだと、あらためて感じています。


************************************
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる・・・・・・

(中原中也 「汚れつちまつた悲しみに」より)
************************************


僕は汚れつちまつた悲しみに、なすところなくとも
あきらめず、挫けず、暮れる日の中で、もがきながらも、希望なくとも、明日へと歩んでゆきたいと願う。


すべての人が汚れつちまつた悲しみにも負けずに歩める明日であってほしいと願う。


そして、僕はかなしいかな実際は中原中也の詩のすべてに共感できるほど、理知的ではない。
でも、よくわからないその言葉の行間に在る真実。きっと芸術とはそう云うものなのだと思う。
在る詩を誰よりも完全に理解できるのは作者自身に他ならない。


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30

2009.09.07 Mon
30歳になってしまった・・・・・・。と嘆く人の姿をたまに見る。そうすると僕はとてもうらやましく思う。こちとらプラスX年です、と酒でもぐいっと飲みたくなる。
そんなときの僕は、普通に生活をしている女子が後藤久美子のような顔立ちの女性に「もっと綺麗に可愛くなりたいの」と言われるのと、同じような気持ちだと思うのです。
いつから、僕は時の流れというものに無責任になってしまったのだろう。
時間は宝物です。
「海の思い出!!貝殻!」と寝言で言ってしまいそうです。

今日、僕はスーパーマーケットで長袖の人の数を数えていました。半袖から長袖へと、また季節は一つ先へと向かう。僕はまだまだ半袖を着ていたい。でも夏は待ってはくれない。
30歳というのは良いものです。仕事も中堅。生活も脂が乗り、ある意味人生で一番良い時期かもしれない。年齢をビジュアルでたとえると後藤久美子である。若さだけではない輝きがあるのだ。
そこからが早いのだよ。時は早いのですよ。時間は宝物なのです。一日86,400秒。
9月を何とか立ち止まらせるように僕は、色々考えているのです。早足の9月を。
待ってくれ9月。
僕が燻銀になるまで。



(ちなみに後藤久美子は35歳である)


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達人

2009.09.04 Fri
近代で言えば、中島らも、町田康、リリーフランキー、穂村弘等を好きで敬愛している。
何れの作家も、マスを相手にしながらも、振り切っている。それぞれにそれぞれの個性に忠実で中庸ということがない。それぞれの人生の中で揺れるであろう針を思いきり自分のテリトリーへと振り切っている。めちゃくちゃである。

まあ,そして、めちゃくちゃでありながらもある意味もっと振り切っている人もいる中で、絶妙なバランスでもあるとも言える。愛されるべき素養。中島らものようにマリファナを使用するというのはよくないけれど、残したものは偉大だと思う。

人の人生というものは、そんなに面白いことが起こるわけではない、と言う人もいるし、人の人生なんて面白いことのカタマリだよ、と言う人もいる。見つめる、発見するその姿勢しだいで、毎日は輝く。

以前、冒険家の白川由紀さんがエッセイの中で、銀行のATMで一円単位でお金を下ろすことができるということに気づいてしまい、1円玉を下ろしてみた、ということを書かれていた。一日かけて一円玉を1000回下ろすことも出来るのだ。
暇な人にはちょっとした遊びになるかもしれない。
怒られるだろうけど。
生きてゆく中で、何処を見つめるか。何に振り向くか。

人って面白いね。




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呪術

2009.09.03 Thu
「ザ・グッド、ザ・バッド、ザ・ウィアード」という映画を観てきた。何気に映画館へと行って、その時間に始まる映画を見ようと思っていると「ザ・グッド、ザ・バッド、ザ・ウィアード」が5分後上映ということで決めたのだけれど、残念ながら心に残るもののない映画だった。

韓国最高峰のアクション映画という触れ込みらしいけれど、ひたすらドンパチを続ける映画。いったいこの2時間の間に何人の人が死んだのか。映画のレビューを見ると、意外と高評価をつけている人が多いから、好みは分かれるのだろう。でもその人たちは、この映画で何か得るものがあったのだろうか。いや、良いと書いているからにはあったのだろう。プロパガンダ的なものをひしひしと感じながら、エンターテイメントというものについて考えさせられる瞬間だった。

歌人穂村弘さんの「短歌という爆弾」という本を読んだ。この人の頭の中と心の中はどこまで広がっているのかと、唸らずにいられなかった。その中で穂村弘さんは短歌を呪術だと断言している。
不可思議な宇宙を知るための、自分の宇宙を広げるための魔法。それが自身にとっての短歌であったと。

僕にとっても自分にとって、作詞やものを書くということはそういう呪術のようなものなのかもしれない。
若かりしころ、僕は僕以外の何かになりたかった。
そして僕の中にいる僕を目覚めさせたかったのだ。
だから、バンドを組んで、髪を伸ばして毛を染め、そこに別次元の自分という虚像を埋め込んだ。
若かりし頃、僕はバンドとロックに明け暮れた。音楽は僕を解放してくれた。
僕は呪術が欲しかったのだ。自分を解き放つために。

歌を書く、ものを書く時には、「人が知る僕」ではない「吾」が自然とその歌や言葉に現れる。
大きなステージ上で演奏をする時には、自分でさえも知らない「吾」が現れる。

人というものは、誰もがそういう呪術を求め生きている。
ある人はボランテイアで、ある人は医師になり、ある人は実業家として、ある人はスポーツで、
自分なりの呪術(生き様)をその仕事や生活の中へと込めてゆく。人はそうやって生き場所を探すのだ。

アルバイトでもかまわないのかもしれない。そこに生きがいがあるのであれば。
人はみな、この世界に恐怖を抱きながら、自分なりの折り合いをつけて世界と共に生きてゆく。
人はみなスイッチを求めている。自分を変えるスイッチを。自分を取り巻く世界を変えられるスイッチを。少しでも現状が良くなるようにと、この世界のどこかにある、そのスイッチを、呪術を求めている。
若い頃にそれを見つけられた人は幸せだ。
遅くても、見つけられたならば幸せだ。
そしてスイッチや呪術がなくても幸せな人は、最高に幸せな人だ。

人は辿り着く場所へ辿り着くのだ。
人生は迷いながらスイッチを入れながら、歩く旅。








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パラドックス

2009.09.02 Wed
「ある人が、自分は嘘をついていると言っている。この人が言っていることは真か偽か」
というのはパラドックス。
パラドックスという言葉は二つのギリシア語に由来する。「〜に反する」という意味の「パラ」と、「見解・判断」を意味する「ドクサ」から成る言葉。騙し絵などもパラドックスの一つ。
それはある解釈とともに、別の排除しあうような見解のある物事のことを述べているものを云う。
中心にあるのは矛盾という概念。一言で云うならば「逆説」

昨夜、フェルミ・パラドックスに関する本を読んでいたのです。
フェルミ・パラドックスと云うのは、この広い宇宙に地球人以外に生命体がいないとは、あまりにも考えにくい。ならばどうして彼らの姿は僕らには見えないのだろうか。宇宙はなぜこんなにも静かなのか、と云うパラドックス。
2000年にCNNが行ったインターネットでの世論調査では、82パーセントの人がこの宇宙のどこかに知的生命体がいると信じていると答えているそうだ。

科学者による見解では、宇宙の生命年齢は130億年余りと云われていて、その中には3つのエネルギー使用能力の段階が在るのだと云う。僕たちと同じく、この惑星のエネルギー資源を使用したエネルギーを活用できる能力。次の段階は恒星のエネルギーを活用できる能力。そして最後の段階は銀河のエネルギーをも活用できる知的能力。

そして、銀河のエネルギーを操ることのできる知的生命体がこの宇宙のどこかにいる確率は極めて高いと云うのが、現在多くの科学者が述べていること、にもかかわらず、知的生命体の存在は僕らにはまったくといっていいほど見えていない。

宇宙人はいるのでしょうか?
僕はいると信じています。

地球では、イエスが誕生し、仏陀が誕生し、アッラーフが誕生しました。
神の使者と云われる存在たちは、大いなる創造主の存在を僕たちに伝え、それらの真偽は抜きとして、僕たちの生活の上での道徳の基礎となっている。

では、その創造主は、そもそも地球を中心に宇宙を創ったのか。
それとも、宇宙と云う作品を創った上で、地球人というのはその他大勢の人類なのか。

宇宙人がいるのなら、その世界にも宗教というものがあるのだろうか。
そこには聖書のようなものはあるのだろうか。般若心境のようなものはあるのだろうか。コーランのようなものはあるのだろうか。
もしもあるのならば、知的レベルの高い世界ではどのような教えがあって、どのような神話が生まれているのか。そこで云われる「自分たちの世界」とはどれほどの大きさを指すのか。

僕はその辺りに物凄く興味がある。

僕らは小さな凝り固まった常識の世界で生きる蟻なのか。
地球と云う舞台で神に似せて創られた神話の一部なのか。
はたまた宇宙と云う規模での神話なのか。

なんて、朝、起きがけから考えていたのです。
この世はパラドックスがあるからこそ、人は次へと進んで
未知の問題を解決しようとするのですね。

宇宙人はいるのでしょうか?
もしもいるとすれば、その世界ではどんな道徳や神話があるのか?

わかっていることは、この地球という世界を見渡す限り、悪と呼ばれるものの存在は多く、それゆえ争いというものが起こると云うこと。

知的レベルが高い生命体は、きっとそう云う風に争うことはしないだろう、というのが僕の考えです。扱うエネルギー量が高いということはそれだけに、責任が生じる。

そう云う世界で存在する、僕らの惑星で「愛」と呼ばれているもの。
その大きさを考えたら憧れでくらくらする。

銀河のエネルギーを活用すると云うことは、それは、もしかすると限りなく神に近いものなのではないのだろうか。

あなたの部屋の窓からも今夜、UFOが見えるかもしれない。

この世はパラドックス。

では、また明日以降。

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言葉と時代

2009.09.01 Tue
僕が生まれた頃は、家に電話を置いていない家もあるような時代だった。
電話のない家は、お隣さんや近所のお店にお願いをして取りつないでもらう。
田舎と云うものはそう云うものだった。

そして、21世紀である。
携帯という超便利機器の誕生で、時代は大きなうねりを見せた。
トイレの中、列車の中、真夜中、あらゆる時間に、人と人とは繋がるようになった。
その中でも、発展的に時代を変えたのは電子メールの誕生。
電子メールの誕生によって、僕たちはペンや万年筆でしたためる手紙と云うものから、大きく遠ざかることになった。僕が作詞家としてはじめて業界と繋がった時、佐藤先生とのやりとりは、まだ手紙であり、郵送のカセットテープだった。

何が云いたいのかというと、僕はメールが下手なのである。
作詞家なのに、と思われるかも知れないけれど、それ故に想いを書きすぎてしまう。そして書くべきことを書かないことがある。返信がないと不安になる。
手書きの手紙であれば、その文字の温度から伝わるものが、電子メールでは内容は文字情報としてしか相手方へと届かない。手紙であれば一度のやり取りで終わるものが、メールだといつ終えてよいのかの判断が難しい時がある。
人はメールでの失敗は多い。僕もある。
気をつけようと、思いつつ、言葉というものには、深く読むとどんな言葉にも二つの意味合いがあって、相手側が二つの意味のどちらを採択するかは、二人の間柄の親密さによって変わる。
誠実にと心がけるが、僕は自分はまだまだだなあと思う。

ああ、先日作曲家でシンガーソングライターの多田慎也さんのブログを拝読して、”思う”ことはやめようと決めたのに。また思っている。
僕は思ってばかり。
きっと思ってばかりいるからダメなんだなあ。

人と人は直接会って会話をして、時間をかさねなければ本当のところは分かり合えないもの。
でも、今の時代を生きるためには、メールというものが人間同士の関係の中では大きな位置を占める。となれば、今まで以上に、大切な人と会えるその瞬間瞬間を大切にしなければいけないと思う。(あ、また思った)
まあ、ここ最近、色々思うことがあったので。(また思った)
反省も含めてここに書いてみました。

言葉を大切に使いましょう
(これは僕は自分に向かって言っています。そしてここへ訪れてくださった方へも)


〜いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、愛が原因で間違った方が素敵ね。〜
Byマザーテレサ


では、また明日以降。
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歴史

2009.08.31 Mon
ここまで旋風が巻き起こるとは。すごいですね。何にせよ今の世の中で僕ら国民に見えていない膿が出て変わることはよいこと。でも、ここまであからさまだと、なんだか空恐ろしいものを感じてしまう。
人の想いの走るスピードが速い現代。落ち着くまでのこれから2〜3年は激しい時代になるかもしれない。そして、これだけの風が吹くと、現れた結果に両政党、そして他の政党も、精神状態は尋常ではないだろう。
しばらくは様子見ですね。
日本が良い方向へと向かい、しっかりと期待に応えてくれることを願います。

昨日は選挙投票の後、お昼からバーベキューに行ってきました。
24人ほど参加の居酒屋の店内で行われる、超変則的バーベキュー。
先日の重いニュースに感じるものがあって、もう飲まないようにしようかなと決めていたのに、飲んでしまいました。
本当に意志が弱い。でもお酒だから許して。

そして、せつないマイハート。

8月も最後の一日ですね。
夏休みも過ぎて、また新しい季節が来る。

最近、「かばん」という歌人集団に加入させていただくことを決めました。
未知の世界。
初心に帰って、一からまた学ばせていただこう。

期待と不安が織り交ざる秋。
丁寧に歌を書いてゆきたいなと、胸に確かめる秋。
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残暑お見舞い申し上げます。

2009.08.26 Wed
気がついたら、もう秋がすぐそこまで来ているようですね。
時の流れは本当に早いものです。
今年は例年よりも少し暖かい秋になりそうとのことですが、どうなのでしょう。

衆議院選挙。次の日曜日は、それぞれの思いを託した責任ある一票を投じる大切な一日になりますね。僕も日本の今後を願って大切な一票を投じてこようと思います。
でも、相変らず最高裁判所裁判官国民審査についてはよくわからないなあ。経歴を見たからといって・・・・・・これは何か他に選出の方法がないものだろうか。

知人からアルファベットラヴァーは実話?と聞かれたのですが、できるだけ正直に書いた実話です。主語を変えたので、読んでいて混乱したのですね、きっと。
鈍感ハチミツという詩集とショートショートのページをつくりました。こちらも是非。



日々勉強だなと思います。本当に。
日々是修行です。

頑張ってゆきましょう!

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